「フリーという手段」というテーマで私の思考を観察する

おはようございます。
バレエ界(芸能系はそうかな?)は、いつでも挨拶は「おはようございます」。

しかし、私の教えているスタジオでは「こんにちは」で統一しています。社会性を身につけるための習い事としての「バレエ」なので、より社会生活に活かせる挨拶を取り入れているのだろうという見解です。

ここで一つ、「見解」から話を発展させてみましょう。

よく私の話は、「話が色々な方向にとぶ」と言われます。しかし、私の中では小さな引っかかりをもってして、すべてチェーンのようにつながっています。ですから、今回はバレエのお話をしつつ論じ方を客観的に分析してみようと思います。

上記の一節、「しかし〜見解です。」から、わたしは雇われのバレエ教師であることが読み取れるかと思います。

確かにその通りで、私は私の母が30年以上前に創立したバレエ教室にて、数年前からバレエを教えています。
お給料をいただけるようになったのは、2015年4月からなので、正式なバレエ教師歴はまだ1年にも達していないことになります。

私は2才より母のあとをついてバレエを始め、バレエ歴22年目を迎えようとしています。
ここでひとつ、問題提起されます。
【わたしakariはフリーではないのか?】

そんなこと知ったこっちゃない方はここでこのページを閉じていただいて構いません。
お付き合いいただける方、もう少しで終わりますのでよろしくお願いいたします。

それでは話を元に戻します。
18歳より創作を始め、処女作は「夏目漱石 こころを読んで」「せ ○ き し しか ○」。

体系化されたのは翌年ですが、「読書感想舞踊」の1作目は『こころ』でした。
失敗作でしたが... 。

以降、「梶井基次郎 檸檬」「中島敦 山月記」「太宰治 人間失格」「小林多喜二 蟹工船」「カフカ 変身」「アンデルセン 絵のない絵本」「石田衣良 池袋ウエストゲートパーク」「ミハエルエンデ はてしない物語」などを発表してきました。

作品創作していく上で、ある問題に当たりました。
【こども向けスタジオにはふさわしくない作品が出来てしまう】
例えば、「死」を連想させるもの、官能的なものなど、人間の三大欲求に寄り添おうとすればするほど、こちらの力は強くなりました。

そこで私は「フリーダンサー」という肩書きを携え、1人で活動することにしました。これにより、子供向けの習い事 バレエ教室にそのようなイメージが付帯してしまうリスクを極力排除したつもりです。

しかしあくまで肩書きは手段であり、本質は母のバレエ教室の一員です。週3〜5日のクラスを受け持つ指導者であることが本質です。



という以上のような論点から、チェーンを汲み取っていきましょう。
例えば2こ目のパラグラフにある「習い事」という単語は13こ目のパラグラフにかかっています。
その他の単語も他のパラグラフを示唆していることは、読み取っていただけるかと思います。

このような言説及び論じ方の分析を自身にすることにより、例えば就職活動やアーティストとして他人に自らの特徴を多角的に単刀直入に説明する一つの要素になるというところで、当記事は終わらせていただきます。